週二回、主人の父が経営する精肉店で主に接客・販売の仕事をしています。

今から13年ほど前、私が高校二年生のときにあることがきっかけで嵐の松本潤にはまりました。

きっかけとなったのはドラマ“金田一少年の事件簿”です。

それまで私は金田一少年の事件簿”を見たことがありませんでしたが、そのころ周りの友人たちの話題になっていたので見ることにしました。

実際、友人たちの話題に上がっていた“金田一少年の事件簿”は堂本剛が主演だったドラマですが、当時私は“金田一少年の事件簿”には変わりないだろういう良く分からない考え方を持っていたのでしょう。

人目惚れでした。

これまでジャニーズになんて全く興味がなかった私ですが、松潤に心を一気に持っていかれました。

それからは松潤が見たいがためにドラマを欠かさず見ていました。
ドラマを毎週見るというのもこのときが初めてだったと思います。

エンディングの目力ある松潤にも心打たれ、毎週ドラマを見るのが楽しみでした。
ドラマが終わってからはエンディングに流れていた“時代”のCDも買いました。

家で暇なときに何回もCDラジカセで聴いていました。
それからどんどん松潤への想いはヒートアップして、ジャニーズ好きの友人と夏休みにお台場まで嵐のグッズを買いに行きました。

そのとき買ったグッズは脂取り紙です。
それから原宿のショップにも行きました。

友人とショップの列に並んだことを今でも覚えています。

このときは今まで貯めていたお小遣いを一気に使いました。

嵐や松潤のグッズで8000円も使ってしまいました。

ですが私の心はホクホクで数日間、顔はにやけっぱなしでした。

それから松潤が出ているTV番組やラジオ番組もよくチェックしていました。

当時まだ嵐はそこまで売れっ子ではなかったのでTV番組は深夜に放送されることがが多く、ビデオに撮って見ていました。
しばらくの間はこのように松潤熱が続き、それから受験で忙しくなってからは熱が冷めましたが今でも嵐は好きで、実は子供の名前に櫻井翔の“翔”の字を使っています。

以前はコンサートにも行ったことがあるので、また子育てが落ち着いたらコンサートにも行ってみたいとは思っています。

健康を維持するために私が一番気にかけていることは、腸内フローラと呼ばれる部分です。

要は悪玉菌を減らして、腸内環境を整えることで免疫力のアップに努めています。

腸内フローラ増やし方解説

私の中では善玉菌を増やすことだけに注力するのではなく、悪玉菌を増やさない努力も大切だと思っています。
なんでもそうだけど、やりすぎはよくないな。

お金を稼ぐってことは難しくない。タウンワークやハローワークに行けば誰でも明日からお金を稼ぐ事はできない。

しかしながら、大きな金額を稼ごうと思えばそんな即日で誰もがうまくいくこともない。

生まれ持った才能を生かしたスポーツ。頭の才能、親が圧倒的な金持ち。

いくらでも可能性はあるが、私の場合は普通の人で、普通の能力しかない。じゃーー無理か?って言うとそうでもない。

例えば私が権利収入を得る為に参考にさせてもらったサイトがこちらです。

正当な権利収入の稼ぎ方!労働収入だけでは資産が増えない

権利収入には沢山の種類がある。簡単に定義づけると直接自分が関わらない営業スキームが大切になるわけです。

自動販売機ってそれこそが営業マンにもなるし、不動産は家自体がお金を産んでくれます。

価値があるって場合と、等価交換出来るスキームって話ですね。

例えば経営者もそれに当てはまります。

コールセンターとか凄くわかりやすいですが、自分で商材を見つけて営業として黒字にしている祭には労働収入という形になる。
でも成果を出す基準値が理解できた場合には従業員を雇えば良いのです。

そうすることで営業マンが増え続ける。

自分が管理をする立場で権利収入を得るという考え方ですね。

好きな事を仕事に出来る人は限られた人でもない。要は自分からどれだけアクションをこなせるかって話になる。

ずっと稼ぐ力を身につける事ができれば、別に貯金がなくても焦る必要性もない。

お金を生み出す為の仕組み、枠組みを形成できるのであれば、既存のプラットフォームだけに頼らなくてもいいからだ。

私の場合は今凄く集中しているのが、デイトレ。なぜデイトレって言うと、スキルを身につければ一生使えるからだ。

例えば!今の技術職って沢山あります。野球のグローブもカバンも靴も。でも一生技術だけで食える業界は非常に少ない。

PC業界で言うと昔はHPを作れる技術者は重宝されたけど、今は価値が非常に低くなってしまった。

中学2年生のころ、後輩から教えられて『鋼の錬金術師』という漫画を知りました。それが、現在に至るまで私が漫画に夢中になっているきっかけです。

夢中になったおかげで『鋼の錬金術師』が載っている漫画雑誌を買うようになり、その雑誌の他の漫画も好きになり、他の漫画雑誌も買うようになり、アニメを見るようになり、声優という人たちを知り、アニメ系のショップに通うようになりました。今の私があるのは、漫画のおかげといっても過言ではありません。趣味のほとんどは、漫画に由来するものなのです。

時間が自由にとれる学生のころが、漫画やそれに類する趣味に一番夢中になっていました。声優がやっているラジオを聞き、そのイベントに参加するためにわざわざ東京まで行くこともありました。

特に『鋼の錬金術師』は、単行本を全巻揃えるだけではなく、二つあるテレビアニメシリーズの全話視聴、こちらも二つある劇場版をそれぞれ劇場で見た上で、どちらのDVDも初回限定版を買うという夢中っぷりでした。連載が終わり、作品は完結しましたが、今でもたまに読み返します。

漫画やアニメに関わらず、ドラマや映画を見ていても、そこに登場するキャラを好きになることは、当然あるかと思います。私の場合、気づけば『鋼の錬金術師』の主人公のようなキャラを好きになっていることが多いです。自覚したのは数年前ですが、のちのちの好みまで影響を受けるほど、夢中になっていたのでしょう。

25歳になり、清掃のアルバイトをしている今も、変わらず漫画に夢中です。かけられる時間は学生のころほどではありませんが、その分いい息抜きになっていて、まったく飽きる気配がありません。

これからもずっと、この距離をたもって、楽しんでいきたいです。

小学生の時の体育の授業でバスケットボールをした時、なんとなく楽しいスポーツだなと思い、中学の部活にバスケットボールを選びました。
そんなに強豪ではなかったのに練習だけはすごく厳しく、休みもテスト期間と年末年始くらいで私の中学生活はほぼバスケオンリーの生活でした。
補欠とレギュラーの間で試合に出るのも半々で不完全燃焼かつ負けず嫌いだった私は、厳しい練習が待っているというのに、高校もバスケ部に入りました。

やはりバスケの練習は辛かったけど、試合に出られた時、シュートを決めた時、ディフェンスで相手ボールを奪えた時など、楽しいと思える時も多々ありました。
そんな頑張り(?)が認められて、キャプテンに任命され、更に生活はバスケ中心になりました。

監督、コーチから3ポイントシューターになれと言われ、練習を重ねた日々でした。

そして、その3ポイントシュートの感覚も覚え、高確率でシュートが決まりだした頃のこと、練習で私が相手ディフェンスをかわした際に、なんとも言えない音が膝から聞こえました。

それは、膝の靭帯を断裂した音だったのでした。
最後の引退まであと3ヶ月という時期での靭帯損傷、そして入院、絶望的でした。

3ヶ月で回復するわけもなく、これまた私のバスケ人生は不完全燃焼で終わってしまったのです。
その後は、膝を使うバスケをはじめとするスポーツ全般が、膝の不安定によりできなくなりました。
しかし、後悔はなかったです。

6年間夢中になれたものに出会えたことは、怪我よりも素晴らしい思い出になったからです。
今は、TVなどでNBA観戦を楽しんでいます。
プレーはできなくなったけど、こうしてバスケットボールの試合を観るのが楽しいのは、あの6年間があったからこそで、夢中になれたものに出会えてよかったです。

私の中で最近凄く特徴的だと思っていることがある。それは青春時代のドラマが収入を生む人かどうかを判断する材料になるってことだ。

切ないドラマには凄くサラリーマンになる。権利収入の話を次にしたいと思う。

ピアノの魅力は夢中で目の前のことに集中できる、言わば趣味でもあり、人間的成長を達成できるような空間だと思っている。
お金というモノから離れて何事も考えれる。金銭的な欲望とはまた一線を超えている。

現在、40代前半の介護パート職員です。私の世代は戦後の高度経済成長の波に乗った親が、子供に昔自分が夢みた「習い事」をさせるというパターンの多かったと思います。

 

 

私も、3歳の頃からピアノ教室に通わせて貰いました。ピアノを習っていると、10歳辺りから、才能のある子は頭角を現し始めます。恐らく、ピアノの先生たちも「筋がある」と見込んで力を入れて指導し始めるのが、一緒に習っている門下生に伝わるようになります。私は、練習が嫌になって辞めたいと思う事はありませんでした。

 

 

残念ながら、熱意はあっても実力は10人生徒が並ぶと5番目位の技量かな?と思っていました。小学高学年にもなると、本当に上手な子は、それなりに難曲でも、まるでピアニストのように弾くようになります。

 

 

毎年、発表会の曲を決める時に、与えられる曲の難易度で、先生からの評価を感じ取っていました。一流の音楽大学を目指す生徒さんは中学に上がる頃になると、それなりの準備に入っていきます。

 

 

私は、自分を中の中の中クラスだと思いながらも「好き」という気持ちはかなり強いほうでした。

 

紆余曲折があって、普通高校への進学の道は断念して、通信制高校で高卒の資格を準備しつつ、生き方を模索していた私は、出来れば地元の音楽科のある短大に入って、レベルは自分の身の丈ながらでもピアノの勉強をしたいと願い、長年のピアノの師匠に相談に行きました。

 

 

 

公私ともども、私を見守って下さった師匠だったので「あなたがそう思うなら、私も協力します」と、音楽大学の情報や受験準備のアドバイスなどもして下さいました。受験の曲に関しても、毎日稽古をつけて下さり、私も夢中になって練習に励みました。あの時の受験課題曲を弾いていた頃がおそらく一番指の動きも、弾き方の脂ものっていたと思います。

 

 

そうして、短大に合格しました。ところがメンタルで弱かった私は、「学校生活」についていけず、中退という結果になっていましました。見守って下さった周囲の心を無碍にしてしまった罪悪感でしばらく立ち直れませんでした。

 

 

 

何年か経過して、やはり、ピアノが好きな自分が顔を出してきて、再び、「教えて下さい」と、もとの師匠を訪ねました。暖かく迎えて下さり、「ピアノ講師の資格を取る」という道もあるわよ、と再度私に「ピアノの道」を示して下さり、地元の音楽教室の講師になる為のグレード試験が受けられるように、関係の方に話をつけて下さいました。

 

 

再び、課題曲のレッスンを受けて臨みましたが、残念ながら合格に至りませんでした。「評価の基準が分からない」と師匠の言葉から、おそらく「学歴や健康面の問題」ではじかれたのだな?と思いました。普通の関係の無いパートで働きながらも、「弾いてみたい曲」への憧れもあり、社会人の生徒さんになっていた時期もありました。

 
また、いつか「弾きたい病」になることもあるかもしれません。パンドラの箱を開けるのを控えているような感じです。